2024年5月30日(木)、東京大学駒場キャンパス101号館11号室EAAセミナー室にて、EALAI研究セミナー第2回「現代ベトナム語はチュノムで書けるか」が開催された。発表者は岩月純一氏(東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻教授)、司会は月脚達彦氏(同教授)によって務められ、清水剛氏(東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻教授)がコメントを述べられた。
EALAI(東アジアリベラルアーツイニシアティブ)は2005年に発足し、北京大学やソウル大学、ベトナム国家大学ハノイ校などと積極的な交流を続けてきた。今回の研究セミナーは、昨年12月に行われた清水剛氏による第1回研究セミナー「感染症・不確実性・経営―戦前日本企業の事例と国際比較」に続く第2回である。岩月氏の専門は社会言語学で、ベトナムや中国を中心に近代東アジアの言語政策史を研究されている。本セミナーでは、「現代ベトナム語はチュノムで書けるか」のテーマの下、1990年代以降に生じたベトナム国字チュノム(CHỮNÔM、字喃)の復興の動きについて概観し、現代語のチュノム表記における問題が如何にして乗り越えられ、今後どのような展開が予想されるのか、また、こうした一連の動きはどのように捉えられるのかについての議論がなされた。
まずチュノムの歴史についての説明があった。ベトナムでは漢代から唐末五代まで中国による支配が続いたため、漢文が唯一の書記言語として用いられ、独自の文字をもたず、話し言葉だけが使用されていた。その後、呉権が独立王朝を設立し、13世紀の陳朝の時代には、漢字を借用及び応用したチュノムがつくりだされた。それまで公文書等は漢字で書かれていたため漢字使用は一般化していた一方で、ベトナム固有の名称で、漢文に無い地名や人名などの語をチュノムを用いて漢文に書き加えることが目指され(文献上のチュノムの初出は10世紀)、漢字チュノム交じり文(ハンノム[漢喃]文)が形成されたり、詩や漢文の訳注などに使われていった。チュノムは漢字を様々に加工し作成されたものであり、ベトナム語と同音・同義の漢字を利用したものや、音は異なるが同義の漢字をあてたもの、同音・異義の語、偏(へん)と旁(つくり)で意味と発音をそれぞれ表す独自の造字、会意文字等々、その造字法は多岐に渡った。しかし、チュノムには多くの異体字が存在し、漢字の知識の深さによってその解釈が異なるなど、漢字を解する人々にしか読み書きができないという欠点があったために、その普及は限定的に留まった。その後、17世紀に渡来したカトリック宣教師が考案したベトナム語のアルファベット表記であるクオック・グーが、フランス植民地化によるクオック・グーの公用化や、教育・メディアなどの利用によるクオック・グーの普及につれて広く使われるようになり、チュノムは20世紀の半ばまでに「死語」と化したのである。そんなチュノムに転機が訪れる。1990年代以降、改革開放路線(ドイモイ)への転換で生じた経済的余裕によって、多様な文化が再生・実践され、その中にチュノムも含まれていた。史跡などの文化財にチュノムが使われたり、書道でチュノムが書かれたり、チュノムのUNICODE化も進められた。しかし、こうした取り組みは日用言語としてのチュノム再興を目指すものではなく、伝統文化の継承や教養としての学習に留まっているということが言える。
一方、日常言語としてチュノムを考える際に重要なことは、「外国固有名詞のような借用語をどう表記するか」ということ、さらには規範化という問題である。この問題が現在どのように乗り越えられ、今後どのような展開が予想されるのか。基本的に、クオック・グーと同様に、チュノムが外来語を取り入れる際には、漢字(中国語)を借りて転写するか、チュノムで独自に造字または仮借するかの2通りの方法がある。デジタル化・コード化に伴って自由な造字は困難になりつつあるが、近似音による転写を考えることなどにより多くの外来語にチュノムを当てる方法は考えられる。しかし、問題は「規範化」にある。チュノムには解釈の多義性や字体の複数性が存在していることは先に紹介したが、これから日常言語としてチュノムを使っていくためには、統一性をどう確保していくかを考えなければならない。ここで注目されるのは、現在インターネット上で、「好事家」の手によって「常用標準ハンノム字表(榜𡨸漢喃準常用 BẢNG CHỮ HÁN NÔM CHUẨN THƯỜNG DÙNG)」なるものが作られていることである。これは、運営者不明の「ベトナムハンノム復興委員会(委班復生漢喃越南Uỷ ban Phục sinh Hán Nôm Việt Nam)」によって作製されたもので、A4紙で600頁にも及ぶ緻密に考えられたものであり、常用字や小中学生が学ぶべき字の指定、翻音規則の制定(漢字を表音的に用いた「万葉仮名」のように、ベトナム語の一音節ごとにコード化された字を固定するという方法)、国内外の地名の転写法などが網羅されている。この主張するところによれば、チュノムは漢字と並行して学ぶことができ、その画数は漢字やローマ字よりも少なく、コード化によりその使用は容易になっている。この「常用標準ハンノム字表」がもつ意味は大きい。これはチュノムの標準化・規範化の試みであり、現行のローマ字によるクオック・グーではなく「漢字とチュノムで現代ベトナム語を書けるようになった」のである。現在、Wikipedia日本語版や中国語版のベトナムに関する記事に注記されたチュノム表記の多くがこの「常用標準ハンノム字表」に従っている点を考え合わせると、こうした一部の人びとの試みによって基礎がつくられ、それに基づく使用が常態化していけば、この規範が「既成事実化」していく将来も考えられる。一方で、ベトナム本国のアカデミーはこの件について未関知であり、国内での認知や、日用の文字としてのチュノムに国家がどう向き合うのかという点は未知数である。
本セミナーは、ベトナムの知やチュノムの魅力を存分に体感できるものであった。ベトナムは、中国による約1000年の支配にも関わらず、10世紀の独立直後、儒教的な家族原理や集権的封建制が根付いておらず、「東南アジア的」で、「分散的な弱い国家」であったとされる。こうした国家の側面を見れば、チュノムのこうした草の根的な動きは今後も広がりを見せる可能性があるのではないだろうか。また、朝廷にチュノムを採用するなどその普及に努めた胡朝の胡季犛は、紙幣発行や官制改革などの集権国家化を進めた明の洪武帝の影響を強く受け強大な国家形成や南進を企図したとされ、そのためのチュノムの利用であったとも考えられる。こうした観点からは、ベトナム戦争を経て、グローバル化やインターネットの普及を受けて今、この時期に生じたチュノム復興の動きをもう少し詳細に検討する必要があるようにも感じた。ポストコロニアルとナショナリズムが交錯する地点に、「自分の」言葉による自由な表現や交通が花することを期待したい。
岩月氏の発表後には、チュノムとローマ字、または漢字とローマ字の混ぜ書きは使用されないのか、漢字とハンノムの使い分けはあったのか、チュノムをポップカルチャーに取り入れる動きはあるか、ベトナム南北でチュノムに関する地域差はあるか、ネット上でコミュニケーションは行われているのか、など様々な観点から活発な質問が出された。また、セミナー室が満席になるほどの参加者があり、セミナーの終了後には岩月氏への質問や参加者同士で意見交換の行われる様子があり、チュノムやベトナムへの関心の高さを窺わせた。中島隆博著『残響の中国哲学:言語と政治』(2007,東大出版会)で言われるように、言語は共同体への参入を要請し、公共空間を生成するからこそ、支配のために為政者によって恣意的に利用される可能性が常に存在する。「ハンノム字表」作製の動きも暴力や権威に結びつくことに警戒が必要だろう。「チュノムかクオック・グーか」という議論に陥るのではなく、また、話し言葉に基礎を有するベトナム語を還元しきらない文字の可能性を探るとしたら、まずは「教養としての漢字教育」の見直しなのではないか。血の通った文字としてチュノムが使用されるには、「エンジニアリング」よりも作製のプロセスそれ自体に皆が参加する必要を想起するときレヴィストロースを想った。
唯、感恩岩月師!
高山将敬(EAAユース第3期生)