- HOME »
- INFORMATION »
- Report
Report
-
Wednesday January 15th, 2025
【報告】EALAI研究セミナー第4回
Sorry, this entry is only available in 日本語. 2024年12月12日(木)、東京大学駒場キャンパス駒場国際教育研究棟(KIBER)314会議室にて、第4回EALAI研究セミナーが開催された。シリア語文学・文献学を専門とする高橋英海氏(総合文化研究科教授)から、「中国・中央アジアのシリア・キリスト教:近年の発見を中心に」というテーマで報告が行われた。司会は月脚達彦氏(同教授)が務めた。 キリスト教はアジア大陸の端で生まれた宗教である。日本ではラテン語世界のキリスト教(カトリックおよびプロテスタント諸教会)がよく知られているが、ギリシア語圏や北アフリカのキリスト教や、さらに東に伝播したキリスト教も重要である。 シリア語を典礼語とするキリスト教徒の集団(「ネストリウス派」とも呼ばれるが、近年ではこの呼称は避けられる)は現在のイラクに起源をもつ。彼らの信仰はササン朝ペルシア領内で発展し、現在のトゥルクメニスタンのメルヴなどから中央アジア地域を経て、陸路を通じ中国に、そして海路を経てインドにも伝わった。現在ではシリア語を使うキリスト教徒が世界で一番多いのはインドである。 東アジアに伝播したキリスト教は中国では「景教」という名で知られた。中国のキリスト教は635(貞観9)年の阿羅本の来唐にはじまり、781(建中2)年には景教碑(「大秦景教流行中国碑」)が建てられるほど隆盛したが、845年頃には外来宗教を対象にした会昌の廃仏により、マニ教、ゾロアスター教と並び景教は中国の中心部では壊滅的打撃を受けた。 一方中央アジアでは8世紀から13世紀にかけて、ソグド人に加え、チュルク諸部族の一部がキリスト教に改宗した。13世紀から14世紀にかけてのモンゴルの支配下の中国では、チュルク系(ウイグル、オングト等)のキリスト教徒が各地に在住していた。 唐代の景教に関する主な史料は下記の通りである。前述の「大秦景教流行中国碑」の脇面にはシリア文字が刻まれている。敦煌で出土した景教経典の多くは20世紀前半に日本に運ばれた後に長く所在不明となっていたが、近年杏雨書屋が公開した。21世紀初頭に洛陽で出土した景教経幢の上部では中央に十字架が刻まれ、左右に天使(天女)、蓮花が刻まれている。洛陽出土の経幢には康氏、安氏といったソグド系の人々が中国で名乗った姓がみえ、ソグド人のキリスト教コミュニティーの存在が示唆される。このほかにも西安で見つかった「米継芬墓誌」には米氏の記述が含まれ、洛陽竜門石窟の景教墓では石(氏)の字が刻まれているが、前者はマイムルグ、後者はタシケント出身のソグド人が名乗った姓である。唐代中国のキリスト教はペルシア人やソグド人の信仰する宗教であったといえよう。 マニ教はキリスト教の要素を取り入れながら成立し、一時期北アフリカ等に広まり、シルクロードを経て中国に伝播した。キリスト教の信仰が唐末には中国の中心部で途絶えたのに対し、マニ教(明教)は福建省の山岳地域等に入り込み生き延びた。近年、霞浦県で発見されたマニ教文書には、聖ゲオルギオスへの祈祷文(吉思呪)がある。唐末にキリスト教とマニ教がともに迫害された時代に、キリスト教徒の一部はマニ教徒の集団に吸収されたのだと考えられる。 モンゴル期・元代のシリア語を典礼語とするキリスト教(「也里可温教」)に関する資料としては、戦前に江上波夫が調査した内モンゴルのオロンスム等に存在するキリスト教墓(石棺)が古くから知られている。このほかにも、内モンゴルで金属製の十字架等が発見され、泉州では十字架とパスパ文字が刻まれた墓石等が見つかっている。現在のモンゴル西部のオラーントルゴイではシリア語と漢文を併記した碑文が見つかった。高橋氏が2014年にシリア語碑文を大阪大学の大澤孝氏から依頼されて確認した際に、漢文部分に「高唐(王)」という名があることに気づき、『元史』や「駙馬高唐忠獻王碑」で高唐王闊里吉思という名で言及され、フランシスコ会士モンテコルヴィーノのヨハネの記録にもその名が残されているオングト部族長ゲワルギスが、1298年に遠征中に捕虜となって殺される直前に残した碑文であることがわかった。 中央アジアおよび新疆でも、近年は研究の進展や新文書の発見が顕著である。新疆のトルファン出土のシリア文字文書は、かつてル・コック隊により1,000点ほどの断片が収集されたが、近年になってようやく整理と目録の刊行が始まった。主な文書は教会の典礼書であるが、アリストテレス『範疇論(カテゴリー論)』のシリア語訳も確認されている。日本でも大谷探検隊が将来したトルファン出土シリア語断片3点が龍谷大学にて所蔵されている。この文書は護符や占いが教会の禁止にもかかわらず実際の人々の信仰生活の中に流布していたことを示す。トルファンの乾燥した気候がこれらの文書を千年間保存してくれたといえる。 新疆ウイグル自治区奇台県唐朝墩の遺跡では2021年に典型的なシリア系教会の跡が発見されたが、その内部には騎馬兵士(聖ゲオルギオス)の壁画やシリア語で「罪」と読める文字が確認できる。トルファン市葡萄溝西旁のキリスト教修道院址でも、2021年に始まった中山大学等による発掘調査でシリア語文書を含む文書約500点や絵画の断片が発見された。この修道院の至近に仏教遺跡が存在することは、一帯におけるキリスト教と仏教の共存を示唆する。 中国と中央アジアの双方において、14世紀にはキリスト教は滅亡した。オングト部出身の詩人金哈剌(金元素)の『南遊寓興詩集』に収められた「寄大興明寺元明列班。寺門常鎖碧苔深、千載燈傳自茀林、明月在天雲在水、世人誰識老師心」という一句には元の滅亡を目前にした泉州のキリスト教寺院の情景が描かれている。中央アジアに残されているキリスト教徒の墓の大半は1330年頃に建てられたものである。ペストの流行とティムールの破壊によって中央アジアからもキリスト教が消えたのだと推定される。 高橋氏の発表後には、日本における景教研究史の断絶について、日本におけるシリア語文書の収蔵機関についてなど、様々な質問が出された。わずか1時間の間に、西アジアから中央アジアを経て中国に至る広域の文化交流が、出土文書の拓本、近年発見された文書の断片や関連遺跡の写真、さらにそれらを生んだ地域の景観写真など、豊富な視覚資料を用いて解説され、多くの参加者がこの研究分野に魅了されていた。 ...
-
Tuesday November 12th, 2024
[Report] 3rd EALAI seminar
On October 31, 2024, the 3rd EALAI project seminar was held with a lecture titled “Revisit of Korean Empire – ...
-
Tuesday June 18th, 2024
【報告】EALAI研究セミナー第2回
Sorry, this entry is only available in 日本語. 2024年5月30日(木)、東京大学駒場キャンパス101号館11号室EAAセミナー室にて、EALAI研究セミナー第2回「現代ベトナム語はチュノムで書けるか」が開催された。発表者は岩月純一氏(東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻教授)、司会は月脚達彦氏(同教授)によって務められ、清水剛氏(東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻教授)がコメントを述べられた。 EALAI(東アジアリベラルアーツイニシアティブ)は2005年に発足し、北京大学やソウル大学、ベトナム国家大学ハノイ校などと積極的な交流を続けてきた。今回の研究セミナーは、昨年12月に行われた清水剛氏による第1回研究セミナー「感染症・不確実性・経営―戦前日本企業の事例と国際比較」に続く第2回である。岩月氏の専門は社会言語学で、ベトナムや中国を中心に近代東アジアの言語政策史を研究されている。本セミナーでは、「現代ベトナム語はチュノムで書けるか」のテーマの下、1990年代以降に生じたベトナム国字チュノム(CHỮNÔM、字喃)の復興の動きについて概観し、現代語のチュノム表記における問題が如何にして乗り越えられ、今後どのような展開が予想されるのか、また、こうした一連の動きはどのように捉えられるのかについての議論がなされた。 まずチュノムの歴史についての説明があった。ベトナムでは漢代から唐末五代まで中国による支配が続いたため、漢文が唯一の書記言語として用いられ、独自の文字をもたず、話し言葉だけが使用されていた。その後、呉権が独立王朝を設立し、13世紀の陳朝の時代には、漢字を借用及び応用したチュノムがつくりだされた。それまで公文書等は漢字で書かれていたため漢字使用は一般化していた一方で、ベトナム固有の名称で、漢文に無い地名や人名などの語をチュノムを用いて漢文に書き加えることが目指され(文献上のチュノムの初出は10世紀)、漢字チュノム交じり文(ハンノム[漢喃]文)が形成されたり、詩や漢文の訳注などに使われていった。チュノムは漢字を様々に加工し作成されたものであり、ベトナム語と同音・同義の漢字を利用したものや、音は異なるが同義の漢字をあてたもの、同音・異義の語、偏(へん)と旁(つくり)で意味と発音をそれぞれ表す独自の造字、会意文字等々、その造字法は多岐に渡った。しかし、チュノムには多くの異体字が存在し、漢字の知識の深さによってその解釈が異なるなど、漢字を解する人々にしか読み書きができないという欠点があったために、その普及は限定的に留まった。その後、17世紀に渡来したカトリック宣教師が考案したベトナム語のアルファベット表記であるクオック・グーが、フランス植民地化によるクオック・グーの公用化や、教育・メディアなどの利用によるクオック・グーの普及につれて広く使われるようになり、チュノムは20世紀の半ばまでに「死語」と化したのである。そんなチュノムに転機が訪れる。1990年代以降、改革開放路線(ドイモイ)への転換で生じた経済的余裕によって、多様な文化が再生・実践され、その中にチュノムも含まれていた。史跡などの文化財にチュノムが使われたり、書道でチュノムが書かれたり、チュノムのUNICODE化も進められた。しかし、こうした取り組みは日用言語としてのチュノム再興を目指すものではなく、伝統文化の継承や教養としての学習に留まっているということが言える。 一方、日常言語としてチュノムを考える際に重要なことは、「外国固有名詞のような借用語をどう表記するか」ということ、さらには規範化という問題である。この問題が現在どのように乗り越えられ、今後どのような展開が予想されるのか。基本的に、クオック・グーと同様に、チュノムが外来語を取り入れる際には、漢字(中国語)を借りて転写するか、チュノムで独自に造字または仮借するかの2通りの方法がある。デジタル化・コード化に伴って自由な造字は困難になりつつあるが、近似音による転写を考えることなどにより多くの外来語にチュノムを当てる方法は考えられる。しかし、問題は「規範化」にある。チュノムには解釈の多義性や字体の複数性が存在していることは先に紹介したが、これから日常言語としてチュノムを使っていくためには、統一性をどう確保していくかを考えなければならない。ここで注目されるのは、現在インターネット上で、「好事家」の手によって「常用標準ハンノム字表(榜𡨸漢喃準常用 BẢNG CHỮ HÁN NÔM CHUẨN THƯỜNG DÙNG)」なるものが作られていることである。これは、運営者不明の「ベトナムハンノム復興委員会(委班復生漢喃越南Uỷ ban ...
-
Tuesday January 16th, 2024
【報告】EALAI研究セミナー第1回
Sorry, this entry is only available in 日本語. ご発表では企業による労働者の保護が第二次世界大戦以前の感染症流行を契機として進展したことが示されました。議論は日本の企業が労働者との関係をどのように見直していったのかという問題を中心に展開され、当時の経営者がどのような戦略を打ち出したのかに焦点が当てられるとともに、同時代のアメリカや中国でどのような対応が取られたのかにも目が向けられました。そして、感染症への対応を通して、労働者を保護する企業と、企業によって保護される労働者とのあいだでリスクを共有するという関係が構築されたことが論じられました。 ご発表を拝聴して印象的であったのは、感染症が個人のみならず企業をも「生きる」という実際的な問題に直面させるものであったということです。労働者の死は企業の「死」にもつながるわけで、労働者の命を守ることが企業が「生きる」ための緊要な課題であったことを知りました。そして、その対応の中で、合理性を重視して労働者の保護に向かう者と、実際的な問題としてだけでなくより理念的な立場からそれを行おうとする者とが経営者の中に出てくるのも興味深く思いました。長期的な視野を持ちながら実際的な生産を行う企業という存在がもたらす思考のあり方、また、それによって形成される社会のあり方や人のあり方に注意させられました。 危機の共有が社会を新たな形に変えていくことは先般のCOVID-19の流行を通して私たちが目の当たりにしているところでもあり、今回のご発表は私たちの社会が過去のいかなる経験の上に成り立つものであるのかに改めて意識を向けさせるものでありました。同時に、人文学の研究において特定の歴史的状況の中で形成される制度に注目することの重要性やその研究の可能性についても多くの示唆を受けました。 飛田英伸 (EALAI学術専門職員/総合文化研究科博士課程)
-
Friday March 9th, 2018
BESETOHA Tokyo Conference 2011 Student Panel Report
"What's the role of a university -from the perspective of students and society-"
-
Friday March 9th, 2018
BESETOHA Tokyo Conference 2011 Report
"Integration og Knowledge
-The Role of Universities in an age of Advanced Technology and Globalization- "